◇SH2268◇著者に聞く! 長島安治弁護士「日本のローファームの誕生と発展」(前編) 西田 章(2018/12/31)

著者に聞く! 長島安治弁護士「日本のローファームの誕生と発展」

(前編)

弁護士 長 島 安 治

(聞き手)西 田   章

 

 日本で初めて「弁護士100名」を超えたローファームは、2000年1月に、長島・大野法律事務所と常松・簗瀬・関根法律事務所との合併によって誕生しました。長島・大野法律事務所の創始者である長島安治弁護士は、合併直前に、「自由と正義」1999年12月号に「日本のロー・ファームの合併と大規模化について――故田辺公二判事への報告」を寄稿されました。

 そして、それから10年を経た2011年11月に、長島安治先生が編集代表を務めた『日本のローファームの誕生と発展』(商事法務)が出版されましたが、この本は、「依頼者である内外の企業が求める真に役に立つ良質のリーガルサービスを合理的な対価で迅速且つ潤沢に提供していく」という社会的使命を負った「日本のビジネス弁護士達が、戦後60余年、時代の要請に応じて大規模化と専門の深化を追い求めてきた足跡を、その当事者が書き遺しておこう」という使命感の下にまとめられたものです。長島安治弁護士は、同書の中で、自らも「所沢法律事務所から長島・大野法律事務所へ」という章をご執筆なされています。

 弁護士登録65年を迎えられた長島安治弁護士に、改めて、ご自身の経験を振り返りながら、弁護士としてのキャリアと法律事務所の経営のあり方について語っていただきました(以下は、2018年9月10日、11月15日及び12月10日において、長島安治弁護士からお伺いした内容を紹介するものですが、質疑の順序については、編集部において並び替えた箇所も含まれています)。

 

第1部 コーポレート・ガバナンス

 この度は、インタビューをお受けいただきまして、どうもありがとうございます。先生が「自由と正義」(2018年8月号)の「ひと筆」に「満州の空」をご寄稿されているのを拝読して、ぜひお話しをお伺いしてみたくなりました。
 なんでも聞いてください。大したお話をできるわけではありませんが。
 今、世間では、日産自動車のカルロス・ゴーン前会長が逮捕されて、その刑事手続の行方に注目が集まっています。コーポレート・ガバナンスのあり方が改めて問われるきっかけになりそうです。そこで、最初に、弁護士が社外役員を務めることの意義についてお尋ねしたいと思います。長島先生は、エッソ石油、いすゞ自動車、ソフトバンク、新生銀行等で社外役員を務めてこられましたね。
 ほとんど退任して、今も続けているのは、外資系のオーチス・エレベータの社外取締役と、日本の会社の数社だけです。
 長島先生が、社外役員を依頼された場合に、受けるか受けないかを決める基準はあるのでしょうか。
 あまり意識していませんけれども、「この会社ならば安心だな」という感覚を抱けるかどうかですね。依頼を受けるぐらいだから、こちらも、その会社についての情報を持っていますので、レピュテーションから言っても、「この会社ならば、ひと肌脱いでやろう」と思えるかどうかですね。
 執行部のトップである社長の人柄も考慮されるのでしょうか。
 そのような依頼を受けるぐらいならば、社長からも何らかの接触はありますよね。
 今までの経験で、「あの社長は気に食わない」と言って、断ったことはありません(笑)。
 社外役員を務めておられるときに、最も強く抱かれている使命感はどのようなものでしょうか。執行部、社長が誤った判断をするならば、止めなければならない、という意識は強く抱かれるのでしょうか。
 当然ですね。そうでないと、意味がありません。
 社外役員として取締役会に参加していて、この経営者は凄い、と感じられた方がいらっしゃったら、教えていただきたいのですが。
 そうですね……、ソフトバンクの孫正義さんは、凄いと思ったことがありますね。
 それはどういう場面ででしょうか。
 昔のことですが、孫さんが、ある時に、それまで続けてきた高配当を辞めて、今回は、見送りたい、と仰ったことがありました。そのとき、ぼくは、監査役でしたが、「ぼくは反対です」と言いました。「なぜかというと、ソフトバンクには、高配当を期待して株主になった人がたくさんいるわけなので、ここで配当を止めてしまうと、「また今後も止める」あるいは「減額する」と会社のイメージがそういう風になってしまう。我慢しても、配当を続けるという風にすべきだと思います。」と言いました。
 孫さんは、どうされたのですか。
 偉い方ですね。すぐにぼくに同意してくれました。
 ワンマン経営者のイメージがあったのですが、きちんと社外の意見に耳を傾けるのですね。
 ところで、社外役員の任期については、何かお考えはありますか。
 社外といえども、長いこと役員をやっていると、取締役の構成員として仲間になっちゃう。何ていうか、あまり「ズケズケものを言いたくない」という気持ちになっちゃう。あんまり長くやっちゃいかんですね。そんなことは感じます。
 なるほど、やはり、社外役員には、「空気を読まない」という姿勢も大事なのですね。その点、「弁護士」という職業には、社外役員としての資質が高いと言えるでしょうか。
 弁護士以外に資格がないとは全然思いません。ただ、弁護士であるが故の長所は、「弁護士として恥ずかしくない言動をしたい」と考えることだと思いますね。それは、社外役員本人にとっても、会社にとっても、良いことですね。
 生え抜きの社内人材ですと、行動指針が「社内基準」にしか得られない危険がありますね。
 追加して述べさせていただくと、社外役員の選び方においても、社長とは別ルートで選ぶほうが望ましいですね。
 それは、何か具体的なご経験に基づくものなのでしょうか。
 私には、八城政基さん、という、エクソン石油の日本の子会社(エッソ石油)の社長を務められた友人がいます。私は、エッソ石油の監査役を長いこと務めていて、八城さんをよく知っていました。そして、彼が、旧長銀の建て直しのために、新生銀行の社長に就任した際に、私に「一緒にやってくれ」と言ってきたので、社外取締役をお引き受けしました。
 そこに何か不都合があったのでしょうか。
 その時に感じたのは、「前々からお互いによく知っている社長に誘われて、社外取締役になる、というのは、感心したことじゃない」と感じました。周りの人は、社長と私の交友関係を知っているので、色目で見られている感じがしました。
 なるほど、実際には、誠実に職務を遂行していても、他の派閥、例えば、古くから会社にいらっしゃった人たちからすれば、「新しい社長が連れてきた取締役」というレッテルを貼られてしまうわけですね。
 社外役員というのは、社長の行動を監視しなければなりません。それにも関わらず、社内には「社長が連れてきた弁護士にそんなことができるわけないじゃないか」と考えている人がいる、と感じたことがありました。
 どれだけちゃんと仕事をしていても、外形的に、そういう「見え方」をされてしまうと、その疑念は払拭されないわけですね。
 社外役員には、なるべくならば、社長との個人的関係がない人のほうが望ましいですね。

第2部 学生・受験生時代(1946〜1948年頃)

 それでは、次に、時代を遡って、先生の学生時代のことをお伺いさせていただきたいと思います。司法試験のためにどんな勉強をなされたか覚えておられますか。
 急に思い立って、司法試験を受けました。同じ高校から東京大学法学部に進学した友人と、大学2年まで遊んでいたのですが、大学3年生の1学期になって、彼に「長島、ぼくは外交官試験を受けることにしたから、今までのように君と駄弁っているわけにはいかない」と言われました。
 私は、「そうか、しっかりやれよ」と声をかけて、それから2、3日は家で畳に寝っ転がって、週刊誌を読んだりしていたのですが、「彼は外交官になるために勉強をしている」「自分は、こんなことをしていたら、世間に申し訳ない」と思いました。
 なぜ、司法試験だったのでしょうか。
 何か試験を受けようと思ったのですが、すでに高等文官試験が終わって、人事院が実施する国家公務員試験と、法務省が実施する司法試験(高等文官試験司法科)になっていました。
 私は、行政学科で、司法学科ではなかったのですが、司法試験を受けることに決めました。
 もともと、法律学に興味があったわけではないのですか。
 特にありませんでした。大学は司法学科ではなかったので、偶然ですね。ただ、後から考えたら、法律は、自分の性分に合っていたと思います。
 それで大学3年次に合格なされたのは驚異的だと思います。どのような本で勉強されたか覚えておられますか。
 あまり印象に残っていないです。準備らしい準備をする時間もなかったので、関連する本や該当頁を探す時間も節約したかったので、参考になりそうな本を目の前にたくさん置いて、なるべくたくさん読みました。
 得意科目や苦手科目はあったのでしょうか。
 私が受験したのは、行政事件訴訟特例法ができた年でした。東京大学の田中二郎先生の行政法のゼミに出ていたので、行政法は他の受験生よりも得意だったと思います。
 他に印象に残っている教授はいらっしゃいますか。
 感謝しているのは、東京大学の民法の我妻榮先生です。民法1部から2部まで、2年間、持ち上がりで我妻先生に教えていただけたのは貴重でした。我妻先生が、授業で「勉強というのは、深く掘り下げていくと、周りから水が湧いてくるように知識が膨らんでいく」といった趣旨のご発言をされていたのは、いまでも覚えています。
 それは、どの分野の勉強にも通じることなのでしょうか。
 私はそう理解しました。
 『日本のローファームの誕生と発展』には、長島先生がニューヨークで研修なされていた時に、日本の臨時司法制度調査会の調査団がニューヨークに来て、調査団の長を務められていた我妻先生に対し、米国の大ローファームについて説明する役目を、長島先生が務められた、というエピソードが紹介されていましたね(同書77~78頁)。
 我妻先生への説明役を引き受けさせていただけたのは、うれしかったので、よく覚えています。
 調査団の中の弁護士出身の委員から「米国に来る前は欧州に行った」「訪問先では各国の、独文、仏文、英文の資料を渡されたが、それらをきちんと読んでいたのは我妻先生だけだった」と聞かされて、尊敬を新たにしました。
 我妻先生は、東京大学での授業も面白かったのでしょうか。
 面白い、というよりも、わかりやすかったです。「本当によくわかっている先生の講義はわかりやすい」と感じました。
 我妻先生は、研究者としてだけでなく、教育者としても超一流だったのですね。
 そう思います。

第3部  若手弁護士(留学前)時代(1953〜1960年頃)

 それでは、続いて、弁護士になられてからのことをお伺いしたいと思います。司法修習(5期)を終えられて、所沢道夫法律事務所に入られていますが、弁護士業務の基礎は、所沢先生から習われたのでしょうか。
 いえ、所沢先生ご自身も、弁護士経験が豊富だったわけではなく、大正時代の終わりに法学部を出られてから、親戚の会社の手伝いをなされていたので、私が、入所した頃に、所沢先生も弁護士業務を始められたところでした。
 では、長島先生は、誰から弁護士業務の指導を受けたのでしょうか。
 特に、誰かに教わった、ということはありませんでした。
 修習生時代から、「自分はどこの法律事務所にも雇ってもらえないかもしれない」と覚悟していましたので、それに備えて、司法修習中から、関与した事件について、準備書面や申立書の書き方とかを自分で詳細にノートを取っておきました。いつでも独り立ちして仕事ができるように心がけていました。
 東京大学卒業後(司法修習前に)三菱化成工業に2年間勤務なされていますが、その間に、会社の顧問弁護士から指導を受けた、ということはありますか。
 三菱化成に居たときに、上司(課長)の指示で、顧問弁護士のところに行ったことは何度かありましたが、役に立つ助言を受けることはできませんでした。
 当時、会社には、3人の顧問弁護士がいましたが、彼らは、自分の守備範囲を、民法、商法、民事訴訟法、会社法ぐらいだと位置付けていました。しかし、会社が顧問弁護士に助言を求めたいと願うのは、特別法が絡む場合ばかりです。
 例えば、三菱化成は、工業用水のために池を持っていましたが、プールの底にひびが入って漏れて来た、という事件がありました。鉱業法の鉱業権の対象になっているから責任があるかどうか、というのは、法律的には面白い問題でした。しかし、顧問弁護士の先生方はそれは自分たちの守備範囲ではない、として、調べてもくれませんでした。顧問弁護士は高齢で、助手のような若手弁護士もいなかったので、新しいことを調べられなかったのかもしれませんが、とても落胆したのを覚えています。
 そういう姿勢でいたら、法律事務所の守備範囲は広がらないですね。まぁ、ボスとしても、仮に、助手のような若手弁護士を雇っても、いずれ独立されてしまったら、事務所に蓄積はないでしょうし。
 そういうことですね。
 顧問弁護士に期待できないとすれば、会社では、難しい法律問題も、社内で判断しなければならなかったのですか。
 私は、東京大学の在学中に司法試験に合格して、卒業してすぐに三菱化成に入社しました。同社では、リーガル部門を、「法規課」「文書課」と呼んでいました。
 入ってから驚いたのは、課長も、係長も、2人とも、東京大学法学部出身だったことです。民間企業にしては、とても法律的な素養の高い人たちが集まった会社でした。
 日本にまだ「インハウス」なんていう言葉がない頃に、大学を出てすぐに会社に飛び込まれたのですね。会社員としての勤務経験は、その後のキャリアに役に立っていると思いますか。それとも、弁護士になるまでに遠回りした分、時間をロスした、と思われますか。
 役に立っていますね。会社にいたからこそ、依頼者の立場がよく分かるようになりました。会社の一員として、顧問弁護士に相談に行ったからこそ、逆の立場になってからも、相談に来る人の気持ちや考え方を理解できることが多かったと思います。会社員経験が無駄だったとはまったく思っていません。
 長島・大野・常松法律事務所のHPに掲載されている「第3回 蛎殻町時代(その三)」では、弁護士になって、すぐに、三菱化成が先生を顧問弁護士にしてくれた、と書かれていますが、これは、会社員時代に、上司や同僚からの評価が高かったからなのでしょうね。
 もともと会社にいた人間だから、会社のことをよく知っているだろう、と思われていたのでしょうね。
 ところで、HPに掲載されている文章では、長島先生は、イソ弁時代から、デイリーレコードを付けていたと紹介されているのですが、長島先生が、弁護士報酬をタイムチャージで請求されるようになったのは、留学帰りではないのですか。
 アメリカでは、弁護士の請求は、「1時間いくら」というアワリーベースが普通である、と聞いて知っていました。日本では、弁護士は、訴額に応じた着手金と報酬金という形で請求をしていましたが、投下した自分の労力は、費やした時間で計算するほうが合理的だと思いました。
 それで、日本でも、いずれアメリカのようになるだろう、と思って、アワリーチャージを導入しました。
 アメリカではアワリーチャージで、というのは、留学先で学んだことではないのですか。
 日本での耳学問です。
 当時は、日本で、アワリーチャージを知っている会社もなかったのではないですか。
 私が知っている限りは、どこの会社も初めてでした。なので、抵抗もあるかと予想していたのですが、意外に、アワリーチャージをすることへの抵抗はありませんでした。
 留学前のイソ弁時代に、日本で初めてアワリーチャージを実現されていた、というのは驚きました。
 まだ、弁護士に成り立てで、小さい会社も依頼者にありましたので、全部の依頼者がそうだったわけではありません。小さい会社では、従来通りの、着手金・成功報酬形態もあったと思います。
 当時、デイリーレコードの書式は、何分単位で付けられるように設計したのですか。
 1日分の表を作って、それをセクレタリーがまとめて確認する、というやり方です。1時間を10で割って、6分単位の表を最初から作りました。
 アメリカではアワリーチャージが行われている、と聞いただけで、デイリーレコードの書式まで考えられたのですか。
 「考えた」と言っても、大したものではありません。
 長島先生よりも先に、日本でアワリーチャージをしている弁護士は見たことがありますか。
 ありません。
 日本で初めてアワリーチャージを導入されたのでしょうね。ただ、日本の企業の側にも「経済的利益の金額に応じて、着手金や報酬金が定まる」という慣行に対する不満があったのかもしれませんね。必ずしもサービスに見合っていないフィーを支払わされている、という。
 そうかもしれませんね。
 ところで、長島先生といえば、コーポレートロイヤーという印象が強かったのですが、長島・大野・常松法律事務所のHPに掲載されている論稿(「第10回 銀座時代(その二)」)では、三井三池の大争議のことも言及されています。
 所沢道夫法律事務所には、林野庁からの依頼が多くありました。公務員の労働争議は裁判所に行きませんので、営林署の労働問題は、行政手続で紛争を処理しなければなりません。当時、所沢先生は、東京都労働委員会の中立委員を務めておられたので、その関係で依頼がありました。
 「第10回 銀座時代(その二)」では、福井先生が、長島先生と大野先生と交代で、1週間ずつ現地に常駐されていた、と書かれています。
 組合が分裂して、第二組合が出来たら、第二組合の組合員は、第一組合から「裏切り者」と非難されていました。第一組合の主婦は、公衆浴場で、第二組合の子供を見付けると、逆さ吊りにして湯船につけたりしていました。水筒と称する竹筒を棍棒代わりにして殴る、ということもありました。それを聞いて、「酷いことをするものだ」と思い、常駐することにしました。
 弁護士が、現場に行く意味はありましたか。
 弁護士が常駐することで、暴力行為があれば、警察に告発することができましたので、あからさまな暴力は減ったと思います。
 若い時期に、そういう紛争案件の現場に身を置いたことは、その後の弁護士のキャリアにも役立ったのでしょうか。
 考えたことはないですが……、無駄だったとは思っていません。何かトラブルが起きても、「さあ、来い!」という気構えはできたと思います。
 論稿にも、「この経験は私達三人が水も洩らさぬ連係体制をとって、3ヵ月に亘り交代で一心に職務を遂行しながら、相互の信頼をそれまでにも増して強固なものとすることにより、後の旧N&Oの精神的基礎を盤石のものにしたのだろうと思います」と書かれていますね。戦友のような絆が生まれたのですね。
 そうですね。
 「コスト」といえば、私が、長島・大野法律事務所のアソシエイトだった頃に、先輩弁護士から、「長島先生は、『無駄なコスト』をかけることをとても嫌っていた」と聞いたことがあります。例えば、「長島先生からの内線電話に応答した際に、『もしもし』と答えたら、長島先生から『もしもしと答えている時間が勿体無い。直ちに名前で応答しなさい』と叱られた」と教えていただいたことを思い出しました。
 それで私が怒ったというのですか? 記憶がないですね(笑)。きっと、虫の居所が悪い時だったのでしょうね(笑)。
 少し誇張して伝えられていたのかもしれませんね。他にも、昔話として「長島先生に報告に行く際に、メモを、長島先生の机の縁と平行にせずに、斜めに曲げて置いたら、突き返された」というエピソードを聞いたこともあります。
 それは、覚えがありますね(笑)。私は、自分でも、机の上に紙を置くときに、斜めに置いてしまうと、気持ちが落ち着かないんですよ。
 先ほど、「弁護士は、メモの形式面も整えてこそ、クライアントの信頼を得られる」という趣旨のお話がありましたが、クライアントも「弁護士が提出するレポートを斜めに置いて報告するような姿」を見たら、「だらしない」という印象を抱くかもしれませんね。
 そうでしょうね。弁護士というのは、几帳面でなければなりません、何事につけても。他人に信頼されようと思うならば。

(下)につづく

 




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