◆SH2027◆コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(94)雪印乳業㈱グループの事件を組織論的に考察する④ 岩倉秀雄(2018/08/10)

コンプライアンス経営とCSR経営の組織論的考察(94)

―雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する④―

経営倫理実践研究センターフェロー

岩 倉 秀 雄

 

 前回は、北海道酪農の始まりの頃の続きを述べた。

 明治8年、ケプロンの推薦により来日したエドウィン・ダンは、札幌西部に牧羊場、真駒内に牧牛場(のちの真駒内種畜場)を作った他、新冠牧場を整備し、北海道に有畜農業普及の基礎を築いた。

 一方、政府は、北海道に有畜農業を普及させようとしたが、大半の牧場が、府県富豪や華族の投資による、牧場の開設・経営を名目とした地主的土地確保の手段として利用された。

 そのような中で、煉乳事業は、早くから発達し、北海道煉乳(株)、極東煉乳(株)(後に明治乳業(株)に改称)、森永製菓(株)の3大会社が激しい競争を続けながら、各社とも酪農家の育成に努めたので、工場周辺では酪農家が増えていった。

 今回は、北海道酪農の基礎を築いた人々と雪印乳業(株)との関係について考察する。

 

【雪印乳業(株)グループの事件を組織論的に考察する④:雪印乳業(株)のルーツ】

(2) 北海道酪農のルーツと雪印乳業㈱の創業者達

① 開拓期の北海道酪農の推進者

 エドウィン・ダンの最初の教え子であった町村金弥はダンの後を継ぎ、真駒内種畜場長となり、長男の敬貴は札幌農学校卒業後、明治40(1907)年から10年間米国の牧場とウィスコンシン大学で研修し、終生北海道酪農の振興に尽くした。

 宇都宮仙太郎は、この真駒内種畜場で2年間実習した後、明治20(1887)年に渡米し、3年間ウィスコンシン農業試験場と大学で、世界的に著名なヘンリー、バプコック両博士に師事し、帰国後、札幌郡白石村で米国式の本格的な酪農を開始するとともに、牛乳の販売とバターの製造も行った。

 宇都宮は、明治39(1906)年、ホルスタイン乳牛を求めて再び渡米、ヘンリー博士に再会し、博士の退官記念講演で、農民の団結と高い農業技術力で荒廃したデンマークが再生したことを聞いて感銘を受け、帰国後、デンマーク農法による酪農の重要性を説き、黒澤酉蔵、佐藤善七等と研究会を設立した。

 また、宇都宮は、多くの青年を育成し、北海道(日本)酪農の指導者として今日の酪農発展の基礎を築いた。

 黒澤酉蔵は、その宇都宮牧場で、酪農を学んだ後に独立し、札幌山手(南14条西15丁目)で12,000坪の牧場を持ち30頭以上の乳牛を飼育した。

続きはこちらから

バックナンバーはこちらから

 

(いわくら・ひでお)

経営倫理実践研究センターフェロー、日本経営倫理士協会主任フェロー研究員。

1976年北海道大学農学部卒、全国酪農業協同組合連合会(全酪連)に入会し、全酪連乳業統合準備室長兼日本ミルクコミュニティ(株)設立準備委員会事務局次長、日本ミルクコミュニティ初代コンプライアンス部長。雪印メグミルク(株)社史編纂室で、『日本ミルクコミュニティ史』と『雪印乳業史第7巻』を編纂(共著)し、2016年10月よりCSR部に異動。

青山学院大学大学院修士課程修了、雪印メグミルク(株)時代に、一橋大学大学院国際企業戦略研究科経営法務コース博士後期課程を単位取得退学。

なお、業務の傍ら、トライアスロンの草創期にハワイ等のアイアンマンレースを3回完走した。

 

 




メールで情報をお届けします
(毎週火曜日・金曜日)

サイト内検索

森・濱田松本法律事務所
長島・大野・常松法律事務所

slider_image1
slider_image2

slider_image1
slider_image2
TMI総合法律事務所